先日、カメラを廻しながらインタビューをする機会がありました。

その時、思い出したのです。

今から12年前位の独立して2,3年目のちょうど今頃、

夏季休暇を挟みながら1カ月間ある営業組織の

密着ドキュメンタリーを撮っていたことを。

目的はその組織の強さの秘密を探ること。

15人弱の組織でしたが、

車の中で、新幹線の移動中の車内で、

夜の打ち上げ飲み会の席で、

お客さまを相手にした営業の現場で、

そしてお客さまを招いての一大イベントにも

同行させていただき、カメラを廻し、

夜はお借りした資料とメモ書きを分析し、

強さの秘密を明らかにした本当のドキュメンタリーでした。

(余談ですが、コンサルタントがドキュメンタリーを撮り分析・解説までしたDVDは大ヒットでした)

ドキュメンタリーは生モノだし、

撮ってみないと上手くできるか分からない。

上手く、というよりも、何が正解なのか、何ができるか

撮り終わらないとわからない。

ノンフィクションの醍醐味!

会話をしながら、その人の考えを訊いたり、

その人の表情や、手振り身振りまで観察しカメラにおさめる。

その人の本質に触れられるかどうかは

インタビュアーの腕に掛かっているんだな、と。

ちょっと待て!?

インタビューと言ったが

これって、ドキュメンタリストなのじゃないのか?

ドキュメンタリストとインタビュアーは

何が違うのだろうか???



ドキュメンタリストというと、

社会問題にカメラを持って切り込む、そんなイメージがある。

インタビュアーには取材相手がいて

本来はその人の本質を引き出すのが仕事である。

カメラを自ら廻しながらが、動的に撮るのがドキュメンタリスト

相手の目線を感じながら、静的に話しを訊くのがインタビュアー

そんな分け方で良いのだろうか?

いやいや、インタビュアーも最近ではミニカメラ廻すし。

訊き手本人が映り込むのがインタビュアー?

ドキュメンタリストもカメラに映り込むこともあるし。

この時代に、分けて考えること自体がナンセンスなのだろう。

職業名を分けるどころか、

玄人と素人の境界もなくなってきている。

かくいう私も何をやっているのか分からない。

領域、境界なんて、もうない時代なのです。

私個人の結論としては、

どちらも私であって、出来るだけ好きなこと仕事とし

肩書きなんて、その場その場でいいように言っていこう。